令和3年7月7日(水)
私の父と母はとても仲が悪かった。。。
二人は普段は会話がほとんどなく、口を開けば喧嘩といった状況。そのため、家の中はいつも殺伐とした雰囲気でした。それでも平日はまだマシです。父親は仕事で夜遅くまで家に帰ってきませんでしたからね。父親がいなければ喧嘩は起きません。でも、土曜日、日曜日、祝日は仕事が休みのため、父親は一日中家にいます。それが小学生の私にとってとても憂鬱でした。
本来であれば、こどもにとって土、日、祝日は学校へ行って勉強する事から解放される楽しい休日のはず。だけれども、我が家では心は休まりません。いつ両親がけんかを始めるのか。私はいつもビクビクしていて、子供心に楽しめるものではありませんでした。
早く平日になって欲しい!
学校に行けばこんな思いをしなくてすむ。
月曜日が早く来てくれ!
そう願っていました。
中学、高校と少しずつ大人になるにつれ、私はいつも思っていました。なんでこの二人は結婚したのか?こんなに仲が悪いのになぜ離婚しないのか?なんで自分を生んだのか?父親が他界してもうかなりの年月がたちますが、それを母親に聞くことは今でも出来ません。おそらく私がそれを知る事はこの先ないでしょう。
父親はギャンブルはしませんでしたが、お酒、たばこが大好きでした。休日はいつも一日中家にいました。家に父親の友達が来ることはほとんどありませんでした。全くなかったかもしれません。会社ではそこそこの地位についていたようで、それなりの給料を家に持って帰っていたようです。一度ボーナスの袋に100万円ほど入っていて、それを自慢げに私に見せてから、母親に渡していた場面が記憶にあります。
二人の仲は悪かったですが、酒代、たばこ代といくらかの小遣いを除いてお金はほとんど母親に渡していたようです。そのおかげで私はお金に不自由した記憶はありません。物が買えなかったり、食事が質素だったりした記憶はありません。私の誕生日やテストで良い点をとったときなど、母親にゲームやマンガなどを良く買ってもらっていたように思います。
こどもの頃は父親が働いて家にお金を入れるのは当たり前だと思っていましたが、そうじゃない家庭がこの世にたくさんある事が今ならわかります。お金を家に一切入れない父親が存在します。借金まみれの家庭が存在します。明日食べるものや着るものにさえ困る家庭もこの日本にはたくさんあります。
友人の家に遊びに行って、仲の良い両親の姿を見たとき、自分はこんな両親の元に生まれてなんて不幸なんだ。と、子供のころは嘆いていました。家族で旅行に出かけた事はほぼありません。というか行きたくありませんでした。でも、今思えば、自分の家庭環境はあまり良いものではなかったのかもしれませんが、恵まれていた方なのでしょう。
大学を出て、社会人となるにつれ父親を見る目も変わってきました。自分でお金を稼ぐ大変さを知るにつれ、あんなにお金を稼いでいたんだな、とすごさがわかるようになってきました。しかし、その頃に父親とほとんど口をきいた記憶がありません。酒とタバコの影響か、父は病魔に蝕まれ長期の入院生活と、退院してからの短い家での生活を繰り返していました。入院中、母親は毎日病院へ通って世話をしていました。しかし、最後はほとんど会話もできなくなり、病室で静かに息を引き取りました。
こどもの頃、私はいつも母親に強く当たる父親の事を憎んでいました。二人はいつも喧嘩ばかりしてお互いにいがみあっていた。それは確かです。でも、両親の間には子供にはわからない二人だけの何かがあったのかもしれない。と、大人になった今は思います。
もし、今父親が生きていたら色々な事を聞きたい。どんな思いで生きていたのか。職場ではどのように仕事をしていたのか。家族の事をどう思っていたのか。自分たちこどもの事をどう考えていたのか。お酒でも酌み交わしながら話を聞きたい。そして存命中は最後まで言う事の出来なかった感謝の言葉を伝えたい。
立派に育ててくれてありがとう、と。
このお話が作り物の虚構、フィクションなのか。。。
それとも私の人生語りなのか。。。
果たしてどっちなんでしょうね( 一一)
おしまい